紫式部から学ぶ「好きなことを好きなだけやれ」

ネクストビジョンありまです。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
さて、毎年この時期は大河ネタにしていますので、当然今年もこのネタから入りたいとおもいます!

今年(2024年)の大河は『光る君へ』ですね。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/

主人公は、吉高由里子さん演じる紫式部(むらさきしきぶ)。

女性活躍という世相を意識したドラマ構成でしょうか。
平安時代中期を舞台に、「世界最古の女性文学」と呼ばれる『源氏物語』を生んだ紫式部の生涯をどう描くのか。
タイトルの「光る君」とはだれのこと?
そして『源氏物語』誕生の背景は?
ライバル清少納言との関係は?

などなど興味深いところでありますが、今回は紫式部について調べましたのでできるだけ解り易く解説して、学んだことを解説したいと思います。

目次

紫式部とは?

紫 式部(むらさき しきぶ)は、平安時代中期の歌人、作家、女房(女官)。歌人として「百人一首」の和歌はよく知られており、「中古三十六歌仙」そして「女房三十六歌仙」の一人でもある。「紫式部日記」(18首)、「紫式部集」、「拾遺和歌集」などにも多くの和歌を残し、娘の大弐三位も「百人一首」、「女房三十六歌仙」の歌人として知られる。また「源氏物語」の作者でもあり、和歌795首が詠み込まれたこの作品は生涯で唯一の物語作品となった。

~Wikipediaより~

お父さんは中流貴族で漢学や和歌に秀でた藤原為時(ふじわらのためとき)という人物。
お母さんは藤原為信の娘とされるが、紫式部や弟の藤原惟規が幼い頃に亡くなってしまったらしい。
紫式部は生まれた年も亡くなった年も、詳細は不明で、諸説ありますが、970-978年あたりに生まれて1014年あたりに亡くなったとされています。

本名はドラマでは「まひろ」ですが、本当は不明なのだとか。「香子」という説もあるそうです。
時代が時代だけによくわからないことだらけなんですよね。

お父さんは花山天皇という天皇に漢文を教えるぐらいの教養人でしたが、左遷となって越前に出向します。
お父さんの影響で紫式部も漢文が得意となりました。女の子にしては珍しく漢文がだいすき。

ただ当時は、漢文は男が勉強するもので女性が漢文をすると非難されることもあったとか。
お父さんも「男に生まれてくれたらなぁ」と嘆いたそうです。
当時は出世が命でしたから、男で漢文や漢詩が出来ることは出世できるひとつの指標になっていたのでこう思うのも自然なことかもしれません。

そして20代の頃、998年に藤原宣孝(ふじわらののぶたか)という20歳くらい年の差がある人と結婚しました。
翌年には娘も生まれますが、結婚して3年ぐらいして夫を病気で亡くしました。

また、宮廷に仕えるも、なかなか馴染めず・・・。
夫との死別、なじめない仕事、そんな現実を忘れるために「物語」を書き始めます。
少し書いては友人に見せ、大好評でまた続きを書いて、、ということを繰り返していました。

そんな噂を聞きつけた藤原道長が、「我が娘にぜひ文学を教えてくれ」とヘッドハンティングしたらしい。
こうして一条天皇の中宮彰子(道長の娘、天皇の正室)の世話役である「女房」として宮廷に仕えることになりました。

どえらい出世コースでしたが、なかなか女房の中に馴染めず、実家に帰っていたりふさぎ込んだりしたこともあったようです。この時代にしては意外に自由な生き方をしていたんだなぁという印象です。

同時に「物語」は宮中で評判となり、宮仕えをしながら完成させたのが五十四帖からなる『源氏物語』。
人気の背景には『光源氏』という女性の理想の王子様的なキャラがウケたのと、ストーリーが非常にリアリティある宮廷での生活を描いていたことがヒットした要因だったと言われています。

あわせて宮中の様子を記録していたのが『紫式部日記』

宮中の様子をはじめ藤原道長邸の様子や、宮中行事の様子、宮中内の者しか知り得ない現場の様子女性仲間と物語に関して批評し合い楽しんでいた様子などが記されていて、この時代のことを理解する大きな手掛かりとなったんですね。

女房には馴染めなかった紫式部ですが、一条天皇の正室の彰子からも好かれ、その父親の藤原道長からの信頼も厚かったようですね。

好きなことを好きなだけやれ

漢文も出来て文才もある。

一見、誰もが羨む人物のように見えますが、だからこそ、近寄りがたい人だと思われていたようで、宮中では馴染めなかった要因でもあったようです。

藤原道長の娘の彰子の「漢文を学びたい」という要望にも応えてコッソリと教えていたそうです。(女性が漢文を勉強するのは批判される要因だったので)堂々とは勉強できない学問だったことが想像できます。

漢文が好きだったことは、当時の女性にとってはデメリット。
でも、この好きを貫き通したことはとても素晴らしいなと思います。

それでも、好きなものは他人の目を気にせず貫く。そんな大切さを教えてくれます。

紫式部から学べる教訓は「好きなことは他人に合わせなくていい」ということです。

「女子だから….」 と漢文を学ぶのを辞めてしまっていたらこれほどの文才はあったのでしょうか。

『好きこそものの上手なれ』とはよく言いますが、『好き』だからこそその成長するスピードは計り知れません。

自分の好きなことを常識や周りの意見で辞めてしまうのはダメ!

好きなことはあきらめないで貫きましょう!

紫式部は非常に人間味あふれ、現代人と同じような悩みを抱えて過ごしていたんだなぁと思います。そこにこの時代の面白さを感じるところですね。ドラマが楽しみです。

ところで2021年11月9日に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんも「好きなことがその人の才能」と。あきらめるな!ってことですね。ちなみに寂聴さんは「源氏物語」の現在語訳を書かれた方です。現在の紫式部ってことでしょうか。

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この記事を書いた人

有馬 猛夫(ありま たけお)
ネクストビジョングループ 代表 IT系の専門学校で11年間教壇に立った経験を生かし、1999年ネクストビジョン設立。広島発ITベンチャー企業として製品開発・サービスの提供を行う。2006年広島市企業診断優良企業賞受賞。2008年マイクロソフト社と広島市によるITベンチャー支援企業として中国地方で初の選定企業となる。
・株式会社ネクストビジョン 代表取締役社長
・株式会社マイクロギア 代表取締役会長
・アナリックス株式会社 代表取締役会長
・一般社団法人ヘルスケアマネジメント協会 理事

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