「諸君狂いたまえ」~吉田松陰に学ぶ~

ネクストビジョン ありまです。

私は毎年、会社の事業戦略にテーマを決めてそれに沿った事業戦略を立てて社員に説明しています。
今年の当社の事業戦略のテーマは「事上練磨(じじょうれんま)」でした。
「事上練磨」(事上磨練ともいう)とは、儒教の一派である陽明学の開祖、明代の思想家、王守仁(陽明)の実践論であり自己修養のあり方を説いたものです。
「事上練磨」は「知行合一」と合わせ、陽明学の神髄であり、根本を成しています。
つまりは、日々の生活から遊離して鍛錬したところで意味はなく、具体的な実践の場にこそ自己練磨する意味があるという考え方のことです。
単純に言えば、お客様から与えられた目の前の業務を懸命に取り組むことが、一社員として成長するだけでなく、人としても成長させることにつながるということなのです。
さて、その陽明学といえば「吉田松陰」ということで、今回のテーマは久しぶりに歴史もので、私の故郷山口の誇り、吉田松陰先生をとりあげてみたいと思います。
吉田松陰という人。あまりにも破天荒な行動が多いので有名です。そのぶっとんだ幾つかのエピソードをご紹介しましょう。

友人との約束を守るために脱藩しちゃう。
友人に東北で会う約束をしていた松陰先生でしたが、出発予定日になっても藩に申請した通行手形が発行されませんでした。このままでは約束の日に間に合いそうにない。。
そこで、、、、脱藩してしまうのです。
脱藩とは、藩に許可なく勝手に他の地域に旅行することです。
これが現在なら、外国の友達に会うためにパスポートを持たずに海外に出かけちゃうようなものです!!(笑)
脱藩は当時では死罪になるほどの重罪でした。松陰先生は若くして藩主に講義するほどの評価のあった人物でしたから、わりと寛容な処分となりましたが、士籍剥奪・世禄没収という処分を受けてしまいました。
さすがの松陰先生も相当な覚悟での脱藩だったはずです。しかし松陰先生にとっては、自分が受ける罰以上に「友人との約束を優先した」のです。つまり人との約束を守ることは、死よりも重い誠の道と考えていたわけです。

黒船で密航しかけちゃう。
ペリーが初めて黒船でやってきた時、日本の将来のためにはもっと日本が海外のことを学ぶべきだと考えました。そこで松陰先生は弟子と二人で「黒船に乗り込んで海外留学させてもらおう」と考えました。
小船で黒船に向かい、乗り込みに成功。そして乗員に「私をアメリカへ連れて行ってくれ!」と訴えました。もちろん、あっさり拒否されます。
当時の人々にとって黒船は、得体の知れない恐怖の存在。現在の感覚的だと突然UFOがやってきた感じ。そのUFOに自ら乗り込み言葉も通じない宇宙人に「勉強させてくれ!」とは、どれだけ松陰先生がスゴイ人か。
しかも、そのまま黙っていればいいものを、奉行所に出頭しちゃいます。
「僕たち、国禁を犯して海外に密航しようとしました」とあっさり自首。で投獄。
どこまで正直なんすか!

牢獄を学校にしちゃう。
野山獄という牢屋に入れられていた松陰先生でしたが、ある日、牢屋の看守がびっくり。
同じ牢屋の囚人たちに孟子や儒学を説いていて、それまでやる気なかった囚人たちが生き生きと勉強をしているのです。
身分も年齢も関係なく、松陰先生は囚人たちに意見を聞いたそうです。「この世はどうなると思う?」とか。「孟子の考えをどう思うかね」とか。そういう問いかけに答えるうちに囚人たちはみるみる意欲的になって勉強したとか。
どうやらマイケル・サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」のような講義だったらしいです(笑)
その後、牢屋から釈放されて自宅謹慎(幽囚)になるのですが、おとなしかった囚人たちがやる気になったことが関係しているのかもしれません。

幽閉中『松下村塾』やっちゃう。
松陰先生は仮釈放され自宅謹慎(幽囚)になります。この自宅軟禁中のわずか2年余りに開いたのが、あの有名な『松下村塾』です。塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られますね。松下村塾の名はもともと叔父の塾を引き継いだもの。
松下村塾は、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れ、しかも無償だったこともあって松下村塾の存在は、萩だけでなく、長州藩全体から90名を超える才能ある若者達が集うようになりました。
一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わす「生きた学問」だったといわれています。それぞれの強みを伸ばす指導を行ない、自主性を重んじたとも。コーチングの元祖とも言われ、現在まで語り継がれる歴史上稀に見る奇跡の私塾となりました。
しかもこれを幽閉中の囚人の身で行ったことがとてもすごいことなのです!
前にやった野山獄での経験が活かされたのかもしれませんね。
ちなみに今も萩市に残る松下村塾の建物は1995年7月に世界文化遺産登録されました!

藩に暗殺の協力頼んじゃう
ある時、松陰先生は、幕府の反対勢力を弾圧する政策に憤慨します。
そして松陰先生は老中の間部詮勝の暗殺を決意。しかし、その後の行動がマズ過ぎ。
なんと、長州藩に対して「老中の間部を暗殺するので武器を提供してくれないか?」とお願いをしたのです。
もちろん長州藩はこれにはビックリ。「この人ちょっとヤバくね?」とまたも牢獄に入れられます。
現在でいうなら「安部さんを暗殺するのでピストル貸してね」と県警にお願いするようなもの!
そりゃ~つかまるわ~。

弟子達に諫(いさ)められちゃう。
弟子達も松陰先生ヤバすぎると危機感を抱きます。
高杉晋作、久坂玄瑞らが中心となって弟子たち連名で「師匠、これ以上過激な行動しないで下さい!」と血判状を作って松陰先生に渡しました。
これには懲りたのか、絶望したのか、このあと絶食をはじめたそう。。で弟子に止められる・・・。やはり懲りてない。
でも結局、高杉晋作も久坂玄瑞も過激な人生を歩んでいく・・・。みんな相当影響を受けたんですね。

暗殺計画を告白しちゃう。
幕府は、「幕府要人の悪口の文を書いた」という容疑で、松陰先生を江戸に呼び出しました。
取り調べの結果、松陰先生は無実と判明。無罪放免となるところ、、松陰先生は(聞かれてもないのに)「実は私、老中の間部詮勝を殺そうと考えてます」と自ら告白しちゃう。悪口どころか、暗殺計画。レベルが違いすぎて役人もビックリ。
どういう心理状態だったのでしょうか?余計なこといわなかったらよかったのに。自己顕示欲でしょうか?
いえいえ、このときの松陰先生にとっては、直接幕府に自分の意見が発言できる絶好のチャンス。ここで自分の考えを伝えることこそ、死よりも大切な誠の道だと考えたのです。
この結果『安政の大獄』の一人として処刑されました。若干29歳でした。
でも私には後悔のない生き方だったように思います。

しっかし松陰先生、ホントすごいです・・・。
私もブログ記事にまとめながら思うのは、この吉田松陰って人、「前向き」で「くそ真面目」で「真っすぐ」に「自分の考えを実行してきた」ということです。
そしてまったく死ぬ事を恐れていない。死んででも誠の道を貫きたい。それぐらい至誠の覚悟だったのでしょうね。
山口県出身の第90代、第96代内閣総理大臣 安部晋三も、座右の銘が「至誠」なのだそうですが、吉田松陰は「至誠の人」そのものです。
至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり(至誠而不動者 未之有也 )
※意味:誠の心をもって尽くせば、動かなかった人など今まで誰もいない
そして、冒頭で紹介した陽明学からの「事上練磨」・「知行合一」な人なのです。
良いと思ったことはまず行動ということ。
・・
江戸時代以降日本で生まれた「武士道」。その元となっているのが「儒教」です。
儒教の中でも陽明学は朱子学とともに新儒学と呼ばれ、「忠」「孝」「佛」という上下関係に重きを置く元の旧儒学に対して「仁」「誠」「心即理」「知行合一」「致良知」(致知という雑誌もここから?)が中心の思想となっています。
そして、陽明学では、「過ちは正すべき」が真の「忠」「孝」であるとしています。
もし上の人が間違った行いをしているならば、見て見ぬふりすることが忠義ではなく、相手が上でも間違えを正す行動を取るべき「誠の心で尽く」ことが真の忠義なのだ。という考え方なのです。
このような考え方であったという見方で吉田松陰をみてみると、これまでの彼の行動が決して破天荒でクレイジーには見えなくなります。それには一過性があり、実に真っすぐに生きて来たかがわかると思います。
陽明学を学び、真剣にその通りに行動した吉田松陰という人がいて、その影響を強く受けた弟子たちがいたからこそ、あの明治維新が生まれたといえます。
・・
経済対策に新型コロナ対策、震災対策、気象変動対策、CO2削減問題とエネルギー問題、社会保険年金問題に少子化対策、、、現在の日本には数多くの課題が山積となっていて、なかなか問題解決に進んでいないように感じます。
なんだか上の間違いを正せない忖度に満ちた組織人だらけの社会のようでもあります。
今こそ、相手が上でも間違えを正す行動を取れるような人、吉田松陰のような狂人的で強烈な「誠の心をもって尽く」ことのできる人材が必要な時ではないでしょうか!
そしてそんな狂人的なキャラの吉田松陰は、素晴らしい指導者でもありました。
数ある教育プログラムで言われているのは、「やる気を引き出す」教えが究極とされています。
要は、何かを教えて、その通り動いてくれる社員では、実はたいした事なく、自らがやる気に燃えて取り組むような社員が一人でもいれば、その会社は栄えるというのです。
吉田松蔭の教えは、まさにその究極、そして、至誠は、ちまたで流行っているビジネスコミュニケーションなんて吹き飛んでしまう位の、時代に関係のない、究極のコミュニケーションなのではないでしょうか。
「諸君狂いたまえ」
吉田松陰が弟子たちに残した言葉です。そして弟子たちは本当に狂ったようにこの国のために尽くすのでした。

※山口県のサッカーJ2「レノファ山口」の応援用横断幕より
ところで、私はあらためてこの言葉を読み返してみて、ある人の言葉を思い出しました。
そしてその人はまさに吉田松陰のように多くの人々に影響を与えた生きざまの人でもありました。
そう。それがこの人↓

Apple創立者のひとり、スティーブ・ジョブズさんですね。
ジョブズが次世代の若者たちに語った言葉は、

「ハングリーであれ、愚かであれ」

です。
ニュアンスは違えど、彼らは同じことを語りかけているように思いませんか?
いつかまた吉田松陰のような強烈な至誠の人・強烈な指導者が現れることを期待したいものです。
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この記事を書いた人

有馬 猛夫(ありま たけお)
ネクストビジョングループ 代表 IT系の専門学校で11年間教壇に立った経験を生かし、1999年ネクストビジョン設立。広島発ITベンチャー企業として製品開発・サービスの提供を行う。2006年広島市企業診断優良企業賞受賞。2008年マイクロソフト社と広島市によるITベンチャー支援企業として中国地方で初の選定企業となる。
・株式会社ネクストビジョン 代表取締役社長
・株式会社マイクロギア 代表取締役会長
・アナリックス株式会社 代表取締役会長
・一般社団法人ヘルスケアマネジメント協会 理事

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