日露戦争の奇跡・あきらめるな!全力で取り組め!!

ネクストビジョン ありまです。
今回は司馬遼太郎の「坂の上の雲」で舞台になった日露戦争について取り上げたいと思います。

日露戦争といえば、「日本海海戦」です。後に世界三大提督のひとりに挙げられることになる東郷平八郎、また彼の右腕、戦略家の秋山真之(あきやま よしふる)らの「丁字作戦」などの周到な作戦により、日本の3倍の戦力を持った世界最強のバルチック艦隊艦隊を相手に勝利した戦いです。

日露戦争での「日本海海戦」の勝利が日露戦争そのものの勝利に繋がったのですが、その日本海海戦の9カ月前にあった「黄海海戦」で辛勝したことが、その後の「日本海海戦」で勝利できた大きな要因だったと考えています。

「黄海海戦」は明治37年8月10日、ロシアの旅順艦隊と日本の連合艦隊とが交戦した、20世紀における、はじめての主力艦同士の海戦です。

ロシアの太平洋艦隊(旅順艦隊)は艦隊を旅順からウラジヴォストークに移そうとしていました。
ウラジヴォストークに艦隊が移動してしまえば、日本は負けです。なぜなら、日本全域がロシア艦隊の攻撃の射程距離に入るわけですから、日本各地でのロシアからの攻撃を防ぎようがないわけです。
世界最強のバルチック艦隊も日本に迫ってきていますから、「黄海海戦」は絶対に負けられない戦いだったのです。

あの「坂の上の雲」の主人公の秋山真之が練りに練った「丁字作戦」で日本は臨んだのですが、大失敗。
「丁字作戦」は好戦的な相手には有効だったのですが、ロシア側は戦いではなく脱出が目的。逃げる相手には不向きの作戦だったのです。
想定外の相手の動きに、連合艦隊は動きに遅れをとられてしまい、旅順艦隊を追いかけますが1万メートル以上の大遠距離をあけられてしまいます。

追う日本艦隊との速力差はわずかに1ノット。時刻は15時過ぎ、逃げた旅順艦隊を全力で追いかけても計算では6時間はかかる。あと3時間半後(午後7時過ぎ)には夜が来る。当時はレーザがないので、暗くなったら戦いは不可能。それまでに追いつけなければ、日本の負け。どう考えても、追いつかない、勝てるはずがない・・・。

その状況で、東郷平八郎の判断は、、、


「あきらめるな!全艦!全力で追いかけろ!!」でした!

ひたすらロシヤ旅順艦隊を追っかけたのです。


すると、なんと奇跡が!!

【奇跡その1】
2時間余りの追跡ののち、旅順艦隊が突然減速しはじめたのです。
全力疾走による故障か・・おそらく整備の不良だったのでしょう。日本の連合艦隊は整備抜群で全力疾走にも全く問題なく動力機関は耐えていました。。日本のクオリティの高さがモノをいったのでしょうか。

午後5時30分ごろ、第二次合戦が始りました!
互いに戦闘は激しく続き、どちらが優勢とも判断がつかない状況でした。
そこへ、またしても奇跡が!

【奇跡その2】
三笠から発射された主砲弾がたまたま、旅順艦隊の旗艦「ツェサレヴィチ」の司令塔に命中。
露天艦橋で指揮していた指揮官は即死。
当時の砲撃はレーザがありません。距離計算も適当です。命中するかどうかは運任せなのです。
そんな当てずっぽうの玉が相手の指揮官に命中するということがどれだけの奇跡だったか。

【奇跡その3】
しかも、さらに砲弾の破片は舵輪を左一杯の状態で固定してしまい、操る者のいない「ツェサレヴィチ」は急速に左転回を始めました。

艦隊の運行ルールは旗艦の進む方向に2番艦が後をついていき、3番艦もついていく、いわば数珠つなぎに続航していきます。なので旗艦が左転回をすれば、何も知らない後続の艦隊もそれをついていくしかありません。

これに慌てた「ツェサレヴィチ」の通信士が手旗で後続艦隊に「ついてこなくていい!」と連絡しようとします。
これにさらに奇跡が!

【奇跡その4】
三笠から発射された主砲弾がさらに「ツェサレヴィチ」の通信士に命中。旗艦は後続艦隊に連絡することすらできなくなったのです!

一瞬にして頭脳を失ったロシヤ旅順艦隊は大混乱!

連合艦隊は敵を包囲しつつ攻撃を続行しましたがロシアの各艦は戦線を離脱して旅順港や中立港に逃げ込んでしまいました。

敵艦隊を撃滅することには失敗してしまいましたが、辛くも勝利。何とか運に救われたという結果だったのです。

この経験が連合艦隊にとって大きな教訓となります。
「丁字作戦」はさらに練り直され、様々な改善・対策がとられます。
それが後の日本海海戦で大きく活かされ、世界最強のバルチック艦隊に勝利することとなったのです。

あのとき、東郷平八郎が「もう無理だ、あきらめよう」と判断したらどうだったでしょうか。
「あきらめるな!全力で取り組もう!!」
と考え、最後まであきらめずに全力で戦ったからこそ奇跡は起きたのだと思います。

それに、、「人間万事塞翁が馬」といいますが、
もし黄海海戦が楽勝・圧勝だったら、日露戦争は負けていたかもしれません。簡単に勝ってしまうと、おごりがおき、「丁字作戦」の見直しもされず、日本海海戦ではよい結果にはならなかったでしょう。
黄海海戦が辛勝だったからこそ、十分な反省が起こり、懸命な改善活動がなされた。だからこそその後の戦いに圧勝することができたのです。

ただ、その後の日本はというと、、、
日露戦争に勝利してしまったからこそ、、軍は慢心になり日中戦争に突入、太平洋戦争を起こしてしまい、敗戦、、、。
けれど、
太平洋戦争の悲劇があったからこそ、、平和国家として経済大国として高度成長でき、、。
けれど、
高度成長があったからこそ、、バブルの崩壊により長らく苦しむことになり、、、。
けれど、
あのバブル崩壊があったからこそ、、今の成熟した社会基盤ができたのだと思いますね。

「人間万事塞翁が馬」
歴史は繰り返されます。歴史を教材にして正しい判断につなげていきたいものですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

有馬 猛夫(ありま たけお)
ネクストビジョングループ 代表 IT系の専門学校で11年間教壇に立った経験を生かし、1999年ネクストビジョン設立。広島発ITベンチャー企業として製品開発・サービスの提供を行う。2006年広島市企業診断優良企業賞受賞。2008年マイクロソフト社と広島市によるITベンチャー支援企業として中国地方で初の選定企業となる。
・株式会社ネクストビジョン 代表取締役社長
・株式会社マイクロギア 代表取締役会長
・アナリックス株式会社 代表取締役会長
・一般社団法人ヘルスケアマネジメント協会 理事

コメント

コメントする

目次