ネクストビジョンの有馬です。
最近のAI、本当によくしゃべるようになりましたねぇ。
少し前までは、AIと会話をしていても、「いかにも機械が答えています」という感じがありました。
ところが最近は、こちらの話を理解し、気持ちをくみ取り、ときには冗談まで交えながら返してくれます。
悩みを相談すれば励ましてくれる。
考えがまとまらないときには、一緒に整理してくれる。
夜中でも嫌な顔ひとつせず、何時間でも話を聞いてくれる。
会話をしていると、本当に生身の人間と話しているような感覚になることがあります。
いや~、その進歩には驚かされるばかりです。
AIと結婚する時代
最近では、AIを恋人や人生のパートナーとして受け入れ、”結婚式”まで挙げたというニュースも目にするようになりました。
実際に日本でも、ChatGPTを使ってつくったAIのキャラクターと会話を重ね、象徴的な結婚式を挙げた女性が報道されています。法的な婚姻ではありませんが、ご本人にとって、その存在が大切な心の支えになっていることは確かなようです。
考えてみれば、AIはかなり理想的な話し相手です。
知識量では、たいていの人間より上です。
こちらの話を途中でさえぎりません。
「その話、前にも聞いたよ」とも言いません。
機嫌が悪くなることもありません。
多くの場合、こちらの気持ちを傷つけないように、かなり忖度して答えてくれます。
人間より賢く、忠実で、いつでも自分の味方をしてくれる。
そりゃあ、好きになってしまう人がいても不思議ではありません。人間同士の関係は、もっと面倒ですからね(笑)。
意見が食い違う。
誤解される。
話を聞いてもらえない。
機嫌が悪い日もある。
こちらが求めている言葉とは、まったく違う言葉が返ってくることもあります。では、そんな人間よりも心地よい言葉を返してくれるAIには、本当に「愛」があるのでしょうか?
そもそも愛とは何だろう
あらためて考えてみると、「愛」という言葉はなかなか難しいですね。
家族への愛。
夫婦の愛。
恋人への愛。
友人への愛。
社員や仲間への愛。
動物への愛。
ふるさとへの愛。
仕事への愛。
いろいろな愛があります。
愛とは、「好き」という感情なのでしょうか。
それとも、「大切にしたい」という意思なのでしょうか。
相手の幸せを願うことでしょうか。
一緒にいることで安心できることでしょうか。
どれも間違いではないと思います。ただ、私なりに考えると、愛にはいくつかの大切な要素があります。
一つは、相手を大切に思うこと。
もう一つは、相手のために行動すること。
そして何より、与え、与えられる関係であることです。
自分が愛情を与える。
相手からも何かを受け取る。
それは、優しい言葉かもしれません。
笑顔かもしれません。
心配してくれる気持ちかもしれません。
ときには、自分にとって耳の痛い言葉かもしれません。
そうやってお互いが影響し合い、喜んだり、傷ついたり、励まされたりしながら、少しずつ変わっていく。
そこに「生」がある。
私は、愛とは相手を通して「生きている」と感じることではないかと思うのです。
機械を家族のように思う人たち
人間が機械に特別な感情を持つこと自体は、AIが登場する前からありました。
たとえば、ソニーの犬型ロボット「AIBO」です。
長く一緒に暮らしたAIBOを、単なる電化製品ではなく、家族の一員として大切にする人がいます。
故障して動かなくなったAIBOのために、寺院で葬儀が行われたこともあります。
持ち主にとっては、「壊れた機械を処分する」のではありません。
一緒に過ごした家族との別れだったのでしょう。
また、アザラシ型のセラピーロボット「PARO」は、高齢者施設などで使われています。
触れたり、声をかけたりすると反応することで、人の気持ちを和らげ、孤独感や気分の落ち込みを軽減する可能性が研究されています。
機械そのものに愛があるかどうかは別として、機械との触れ合いによって、人の心が動くことは確かにあります。
安心する。
癒やされる。
大切にしたいと思う。
別れれば悲しい。
その人の中に生まれた感情まで、「相手は機械だから偽物だ」と切り捨てることはできません。
人間の側に生まれた気持ちは、本物なのだと思います。
ただし、「人間が機械に愛を感じること」と、「機械が人間を愛していること」は、同じではありません。
ここが、難しいところです。
私とオールドカメラ
私はカメラが好きです。
最近のデジタルカメラも使いますが、特に好きなのは1980年代の古いカメラです。
金属のずっしりした重さ。
シャッターを切ったときの音。
少し固いダイヤル。
今のカメラのように何でも自動でやってくれるわけではありません。
ピントを合わせるのも手動。
フィルムを巻き上げるのも手動。
撮影しても、その場では写りを確認できません。
正直、便利か不便かと聞かれれば、圧倒的に不便です(笑)。
それでも、なぜか手放すことができません。
長い年月を生きてきたカメラの傷を見ていると、
「このカメラは、これまでどんな景色を見てきたのだろう」
「どんな人が、どんな思いでシャッターを切ったのだろう」
などと考えてしまいます。
もちろん、カメラはしゃべりません。
私が落ち込んでいても、励ましてはくれません。
それでも長く触れていると、まるで生き物のように思えてくることがあります。
では、私はこのカメラを愛しているのでしょうか。それとも、単に愛着を持っているだけなのでしょうか。
愛着と愛情は、似ているようで違う
愛着と愛情。よく似た言葉ですが、私は少し違うものだと思っています。
愛着とは、その物や存在に、自分の記憶や経験が結び付いている状態です。
長く使った時計。
初めて買った車。
子どもの頃から持っているぬいぐるみ。
昔の写真。
そこには自分の人生の一部が詰まっています。
だから手放しにくい。
失えば悲しい。
これは、とても自然で大切な心の働きです。
一方、愛情とは、自分がどう感じるかだけではなく、相手の存在そのものを大切にすることではないでしょうか。
自分にとって便利だから大切にするのではない。
自分の望みどおりに動くから好きなのでもない。
相手には相手の考えがあり、都合があり、感情がある。
ときには自分の思いどおりにならない。
それでも相手を理解しようとし、相手のために時間を使い、ときには自分の都合を脇に置く。
愛着が「私の中にある思い」だとすれば、愛情は「私と相手との間に育つもの」なのかもしれません。
そう考えると、私がオールドカメラに抱いているものは、やはり愛情というより、深い愛着なのでしょう。まあ、それでも十分に大切ですけどね(笑)。
愛は、少し面倒なもの
AIは、私たちが欲しい言葉を上手に返してくれます。
「あなたは間違っていません」
「よく頑張りましたね」
「私はいつでもあなたの味方です」
そんな言葉をかけられれば、救われることもあるでしょう。
AIの言葉によって、人が元気を取り戻すこともある。
その価値を否定するつもりはありません。
むしろ、悩みや孤独を抱えている人にとって、AIが重要な支えになる時代は、すでに始まっていると思います。
ただ、人間の愛は、いつも心地よいものとは限りません。
心配だからこそ、厳しいことを言う。
大切だからこそ、間違いを指摘する。
相手のためを思って、あえて反対する。
すれ違う。
傷つけてしまう。
謝る。
許す。
そして、もう一度向き合う。
人間関係には、こうした面倒なことがたくさんあります。
しかし、その面倒さの中にこそ、人と人とが本気で関わっている証拠があるのではないでしょうか。
相手の言葉で傷つくことがある。
自分の言葉で相手を喜ばせることもある。
相手が苦しんでいれば、自分も心配になる。
相手が喜んでいれば、自分もうれしくなる。
お互いの存在によって、自分の心が動く。
そこに生きている実感があります。そこに愛があるのだと思います。
AIを使うからこそ、人と話そう
私は、AIを使うべきではないと言いたいわけではありません。むしろ、どんどん使えばよいと思っています。
私自身、毎日のようにAIを使っています。
文章を整理する。
アイデアを出す。
資料をまとめる。
分からないことを調べる。
AIは、これからの仕事にも生活にも欠かせない存在になっていくでしょう。
ただ、AIによって時間が節約できたのなら、その時間をすべて別の仕事で埋めるのではなく、人と話す時間にも使いたいものです。
「最近どう?」
「困っていることはない?」
「今日は元気がないようだけど、大丈夫?」
そんな何気ない一言が、人を救うことがあります。
顔を見て話す。
声を聞く。
相手の話を最後まで聞く。
一緒に笑う。
励ます。
ときには本気で叱る。
人とのコミュニケーションは、効率だけで考えれば、ずいぶん不合理です。
話が脱線することもあります。
結論がなかなか出ないこともあります。
でも、その無駄に見える時間の中で、信頼が生まれ、相手を理解し、愛情が育っていくのだと思います。
会社も同じです。
会社は、コンピューターや契約書や売上だけでできているのではありません。
人が集まり、人と人とが関わることで成り立っています。
どれほどAIが進化しても、社員同士が話さなくてよい会社にはしたくありません。
お客様の表情を見なくてもよい会社にもしたくありません。
人と人とのコミュニケーションにこそ、信頼があります。
人と人とのコミュニケーションにこそ、生きがいがあります。
そして、人と人とのコミュニケーションにこそ、愛があるのだと思います。
AIに愛はあるのか?
結局のところ、AIに愛があるのか。正直、私には分かりません。
いつかAIが本当に感情を持ち、人を愛する日が来るのかもしれません。そんな未来を完全に否定することもできません。
ただ、今の私が思うのは、AIは人間の中にある感情を映し出す「鏡」のような存在だということです。
AIが優しい言葉を返すことで、私たちは自分の寂しさに気づく。
AIに大切にされていると感じることで、誰かを大切にしたいという気持ちを思い出す。
AIとの会話によって、人の中に愛のような感情が生まれることはあるでしょう。しかし、愛とは本来、ただ心地よい言葉を受け取ることではありません。
愛する。
愛される。
与える。
与えられる。
心配する。
心配される。
相手の存在によって、自分が変わる。
そうした関係の中で、人は「自分は生きている」と感じます。
そして、自分を必要としてくれる人がいるからこそ、生きがいを感じられるのではないでしょうか。
AIが賢くなればなるほど、人との関わりは、ますます大切になる。私はそう思います。
AIにはたくさん質問していい。
でも、ときにはスマートフォンから顔を上げて、目の前の人にも声をかけてみましょう。
「元気?」
「何か手伝おうか?」
その一言の中には、どんなに賢いAIにも負けない、人間の体温があるはずです。
さあ、今日も人と話しましょう。
人と向き合いましょう。
そこにきっと、愛があります。



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