会社は何のためにあるのか?渋沢栄一に学ぶ

ネクストビジョン ありまです。

今年のNHKの大河ドラマは吉沢亮くん主演の「青天を衝け」。
「渋沢栄一」の生涯を描いた今回の大河は、なかなかまれにみる面白い大河で視聴率もいいようです。
さて、渋沢栄一といえば、2024年から発行される新1万円札の肖像画として注目されています。
先代の福沢諭吉や初代の聖徳太子に比べると「よく知らない」という人。ちょっと多いのではないでしょうか?
渋沢栄一といえば、近代経済や近代産業が全く未発達の明治期の日本で、500を超える企業の設立に携わった「日本資本主義の父」です。今の日本を作った人と言っても過言ではないでしょうね。
そして一方で同時代に活躍した財界人に、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎とう人がいます。
三菱財閥の初代総帥として国の発展を支え、その後の三菱グループの発展の基礎を築いた大傑物です。
今の日本の近代勃興の発展には、渋沢栄一と岩崎弥太郎の二人の貢献がとても大きくあったと思います。
そんな明治を代表する二大巨頭なのですが、渋沢栄一38歳のある日、44歳の岩崎弥太郎に向島の料亭に呼び出されて酒宴を開いたことがあるそうです。
最初の天下国家を論じているうちは和気藹々(あいあい)としていたそうですが、岩崎弥太郎が次のように切り出してきました。
「2人が組めば、日本の実業界を思うままにできる。一緒にやって大金持ちになろうじゃないか。」
そこで渋沢栄一は岩崎弥太郎に、経営者としての信条を尋ねてみました。
すると岩崎弥太郎は、
「私は個人主義だ。個人が全体を束ね動かす。利益配分は経営者にこそ重要」
これをきっかけに意見が分かれ、お互いが激怒して酒宴は雰囲気は一気にしらけてしまうのです。
渋沢栄一は会社の存在意義を、
「国と国民を富ますことが経営の目的」
であるとし、
「得られた富は広く分配するもので個人が独占すべきでない」
と考えて、利益を独占する財閥の形成は真っ向から否定的でした。
そしてそのために必要な組織は「株式組織」であり、衆知を広く集め優れた経営者を募り、また株主の意見に耳を傾けることこそ、国益に叶うと確信していました。
それに対し岩崎弥太郎が進めようとしていたのが岩崎弥太郎という個人を中心とした独裁型の財閥、三菱。
「だめだ,君のいう合本法(株式組織)は,船頭多くして船山に登るの類だ」
と反論。
すると渋沢栄一は、
「いや,独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ」
と応じて、二人は物別れ。
現在の価値観だと、この逸話は渋沢栄一がカッコよくて岩崎弥太郎がヒール役のように感じられますが、実のところそうとも言えないかもしれません。
というのも、この時代はまだ明治維新から間もないころで、庶民にまともな教育が行き渡り始めたばかりの未熟な日本です。
当然、できる経営者から見れば自分が全てを決定し、全て指図をしたほうが遥かに効率が良いに決まっています。当然、リスクとリターンは表裏なので、多くのリスクを負った経営者とその一族が多くのリターンを享受することは、何も間違っていないわけです。
しかし渋沢栄一は、そんな時代にあってもこの国の将来を思い描いていたのではないでしょうか。
庶民の能力はまだまだヒヨコでも、一部の知識層が庶民を支配的に指導し、その体制を固定させることを良しとは考えなかったのです。
わかりやすく言うと、
「リスクは俺が取るから、お前がやってみろ」
という、”頼れる上司”のポジションが必要になると考えていたのではないでしょうか。
これは人材や事業を育てる王道的な思想です。しかし短期的にはとても非効率なことでもあるのです。
できない部下やできそうもない部下に仕事を任せるよりも、自分でやったほうが遥かに早く仕事が終ります。品質クオリティも高くできます。
しかし、そのやり方を続けていては、いつまで経っても人材も事業も大きく広がってはいかないのです。
言ってみれば、自分の能力を頼りに、目先の課題の正面突破を図ろうとしたのが岩崎弥太郎で、意欲ある後進に知見と資本を提供して、長い目で見て世の中を変えようとしたのが渋沢栄一だったといえるのです。
二人の経営スタイルの違いは、そのようなものだったのでしょうね。
この時を境に、二人は長年に渡り反目し続けることになりました。
それぞれの信念に基づき事業を展開してきた二人でしたが、ついに正面から角を突き合わせたのが「共同運輸会社と郵便汽船三菱会社の戦い」。
大河ドラマでどのように描いてくれるのか楽しみなところです。
さて、もし日本に渋沢栄一がいなかったら、もしくは岩崎弥太郎の誘いに応じて二人が手を組んでいたら、今の日本はどうなっていたのでしょう。
きっとお隣の国、K国のように、一部の財閥グループが国のGDPの多くを独占する社会構造になっていたのではないでしょうか。※もちろんこれは、どちらの国の社会構造が優れているかということではありません。
渋沢栄一という人物は、単にたくさんの会社を作った人物ということではなくて、
「会社は社会のためにある」
「得られた富は従業員と株主に配分し社会に貢献するためにある」
という現在では当たり前の経営観点を日本に正しく根付かせたことが、とても素晴らしい業績なのだと思います。
まさに稲森和夫さんの「利他」の精神です。
ただ、最近は「個人主義」の経営者がちょっと多くなってきた印象でそこが心配になります・・・。
なお余談ですが、岩崎弥太郎や、住友財閥の住友友純は晩年、華族として「男爵」を与えられました。一方で渋沢栄一だけが、その上位にあたる「子爵」を与えられています。
そういう意味でも、渋沢栄一はなるべくして1万円札の顔に選ばれたのでしょうね。
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この記事を書いた人

有馬 猛夫(ありま たけお)
ネクストビジョングループ 代表 IT系の専門学校で11年間教壇に立った経験を生かし、1999年ネクストビジョン設立。広島発ITベンチャー企業として製品開発・サービスの提供を行う。2006年広島市企業診断優良企業賞受賞。2008年マイクロソフト社と広島市によるITベンチャー支援企業として中国地方で初の選定企業となる。
・株式会社ネクストビジョン 代表取締役社長
・株式会社マイクロギア 代表取締役会長
・アナリックス株式会社 代表取締役会長
・一般社団法人ヘルスケアマネジメント協会 理事

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